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  • 2018年12月の最新投稿

    特別編・やがて親は死ぬ〜naomiの場合〜

    2018年12月28日

     
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    ブルルでSNSを担当しております、スタッフのnaomiです。 今回もトラドラ総研さんのスペースをお借りしまして、(借りすぎだろ) コラム的なものを書かせていただきました。 今年はいろいろなことがありました。 わたしは、母を亡くしました。 誰もが向き合わざるをえない「その時」に何ができるかー。 心構えやお金のこと、オープンに書きました。 お時間があれば、少々お付き合いください。 「親の死」ー。それは、自分が先に死なない限り、誰しもに降りかかる問題である。 頭ではわかっているものの、自分の親だけは不死身なのではないかと、どこか非現実的な考えを持ってしまうのが人間だ。 わたしの母は20年もの期間、癌と闘っていた。 だから、いずれはその時が来ると思っていたが、これほど早いとは思わなかった。 これは20代のわたしが体験した親の死との向き合い方である。 まだまだ先の話と思っているであろう同年代のドライバーさんにもぜひ読んでほしい。 「余命3カ月」。どこぞの花嫁の話ではなく、母の診断書に書かれていた一文である。 乳癌から骨へ転移していたことは聞かされていたため、正直「そんなもんだろうな」と思ってしまった。 それにしても、「ドラマや映画にありがちな設定だな」と、他人事に捉える一方で、3カ月後に決まりかけていた旅行をキャンセルするなど、自分の生活にも確実に影響を及ぼしていた。 それからは早かった。見る見るうちに母は瘦せ細り、「もうこれ以上は痩せないだろう」と思っても、「翌日にはまた痩せている」の繰り返しだった。 次第に自分で起き上がることも、寝返りを打つこともできなくなり、食べ物も飲み物も飲み込めなくなった。 痩せたことで目は閉じることができず、寝ている時も見開いたままだった。 やがて呼吸も止まり、その日は訪れた。 喪主であるてんやわんやの父をサポートするためにも、娘のわたしも葬儀の打ち合わせに参加した。 実はここからが一番伝えたい内容である。 葬儀費用は目ん玉が飛び出るほど高額だったのだ。 葬儀社は、病院からの紹介だった。生まれも育ちも東京、典型的な核家族の我が家では、葬式も慣れておらず、墓さえない状態。 親戚付き合いもほとんどない。病院から薦められるがまま、半ば流されるようにその葬儀社に決まって、(結果的に良くしていただけて不満はないが)正直もう少しきちんと比較・検討すべきだったと後悔している。 最初に提示された額は、祭壇だけで200万円オーバー。祭壇は一番安いものでも60万以上した。 もちろん葬儀は祭壇だけではできず、花や会場費も必要になる。 さらに遺体の搬入費は、入院していた病院と斎場の距離が少々離れていたため、所定の費用にプラスで延長料金が発生したし、安置料は葬儀が何日後に行われるかによって加算されていく(それも結構高い)。 母は友人も親族も少なく、葬儀もしないでほしいと生前から言っていたが、さすがに死の間際になるとそんなわけにもいかないと悟ったのか、ごく小規模な家族葬を望んだ。 その意向も汲み取って、一番安い祭壇から、不要なものを削っていって、諸費用も含め最終的に70万程度で着地した。 正直、家族葬なら3〜40万くらいと勝手に想像していたので、結構衝撃だった。 このことによって学んだのは、葬儀のことが決まってない家庭は、家族や自分が元気なうちに、近所の斎場やプランを把握したほうがいいということ。 今回は幸い自治体からのキャッシュバックが受けられる斎場だったからまだ良かったものの、自治体による格安の葬儀(東京は区民葬など)があったことも後から知った。 こうした要望などを若いうち、元気なうちから家族間で共有しようと我が家が編み出したのは自家製エンディングノートだ。 内容は、現在の住まいに近い斎場のプランや葬儀の演出、呼んでほしくないリスト(笑)や銀行口座一覧など、自分の書きたい内容を市販のノートに書き留めていく。 極めて高いプライバシーに関する内容なので、書いたらホチキスで留めてもいいし、裏写りしないよう絵でも書こうかと思っている。 家族全員で1冊のノートにまとめ、これを年末年始など1年に1回、更新する。 我が家は独断でわたしの誕生日付近に更新することが決定された。 最近は、デジタルデバイス遺産の処理を遺族が行って問題となるケースもあるという。 万が一の時に、家族や友人はもちろん、会社、同僚などに迷惑をかけないよう、備えをしておくことが大切だと思う。 この記事は葬儀に関することを中心に書いてきたが、後悔はそれだけではない。 平均身長より大きくなるほどに育ててもらえた恩を母に返すことはできたのだろうか...とよく考える。 死期が迫っていることはわかっていたにもかかわらず、感謝の気持をきちんと伝えることができなかった。 どんなに尽くしても、必ず後悔は残るとは思うが、みなさんにはできるだけそんな思いはしてほしくない。 そう願うばかりだ。 わたしは、母より長く生きられたことだけでも親孝行できたと思うことにしている。 これを読んでいる皆さんにも、先のこととは思わずに、ハード面、ソフト面の両面から真剣に考えてみていただけたら...と思い、筆を置く。
     
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